不思議な連鎖で人は繋がり、その繋がりは一瞬のタイミング、
脳が判断を下す瞬間と呼ぶには遅すぎるタイミングで人は出逢い、
そして教え、教えられるのだと・・・
人との出逢いに改めて不思議な神秘を感じました。
さて・・・
久しぶりに500円の原稿を二つ書きましたので^^;
自分は存在するのか?自分は何者なのか?
この世界は夢か幻か?
小生はいつも考える・・・
ヘラクトレイスは万物は流転し、
その背後、本性には「アルケー(火と闘争)」があり、
キリストの教えの根幹と言っても過言ではない「ロゴス」を説いた。
プラトンは全ての事象の本質に「イデア」という真理があると説いた。
ソフィスト達は世界には客観的な真理など存在しないと説いた。
偉大な賢人達の説いた教えはどれも真実であろう。
誰もが自分を突き動かす「真理」、
いや自らではどうする事も出来ない「畏怖する何か」、
アダムスミスが説いた「見えざる手」を知ろうとしたのではないだろうか?
人との出逢いは一見螺旋構造のように感じてしまうが、
「メビウスの輪」であると小生は考える、そう「見えざる手」によって、
その一瞬が捻じられ螺旋構造からメビウスの輪へと
変わるのではないだろうか・・・
さらに人体の宇宙が描く二重螺旋構造をとっており、
自身の判断で絶えずいずれかを取捨選択しているのではないだろうか?
霊的な見方をすると、出逢うべくして出逢った、
前世からの因縁であると考えるようであるが、
仏教で言う「現世が修行の場である」いう観点から考えた場合、
ジョン・ロックが説いた経験論である、
自身の行い、即ち修行(経験)によって更に高みへ上る為に、
見えざる手によって「きっかけ」を得、
出逢う事が出来たと考えるのが自然なのではないだろうか。
言い方を変えれば、人と出逢う事が修行であると言える。
後世に悪名を轟かす事になったソフィストが
「客観的な真理など存在しない」と説いているが、
存在しないのではなくて、
「人によって異なるであろう客観的真理を探す」
と考え、問答によって探そうとしたのではないだろうか。
他の賢人と同じく「真理」を
追求しようとしたのではなかったのではないだろうか。
(そう考えると、ライプニッツは「真理を見透かしていた」のではないだろうか)
小生のライフワークは自身の存在を探すことである。
人との出逢いを通じ、見付ける事が出来るかもしれない・・・
皆様、いつもありがとうございます。