「Macintoshの父」として知られているジェフ・ラスキン氏が2月26日、癌で亡くなったと複数のWebサイトが報じた。61歳だった。ラスキン氏はMacintoshのオリジナルのアイデアを考えつき、Apple Computerでプロジェクトを進めていたが、そののちに当時のスティーブ・ジョブズ氏にプロジェクトを奪われたという経緯がある。同氏はMacintoshの名付け親とも言われている。2004年のMacworld Expo/Bostonで行われたMacintosh開発チームのオリジナルメンバーによる「同窓会パネルディスカッション」でラスキン氏はMacintoshプロジェクトがApple誕生以前から存在していたことを明かし、ユーザーインタフェースの専門家である自分と「ボックスは理解していた」というジョブズ氏とは確執があったことを認めている。ラスキン氏は後に新たなユーザーインタフェース論「ヒューメインインタフェース」を提唱し、その実行のための組織「The Raskin Center」を設立した。彼のコンセプトを実現するための実証プログラムとして、3月1日を目標に「AARDVARK」(Archy Alpha Release Development Version Archy)がリリースされる予定となっている。
さらに、IT-Mediaから関連記事を。
ジェフ・ラスキン氏がパーソナルコンピュータにもたらしたもの。
Macintoshの初期コンセプトを考えつきながらも、製品を世に送り出すことはかなわなかった故ジェフ・ラスキン氏だが、その功績は偉大だ。61歳で世を去った彼の業績、人柄はどのようなものだったのか。
サンノゼ(Associated Press)
コンピュータインタフェースの専門家であり、Apple Computerの革新的なMacintoshコンピュータのコンセプトを考えたものの、商品として世に出る前にAppleを退社した、ジェフ・ラスキン氏が死去した。61歳だった。ラスキン氏はカリフォルニア州パシフィカの自宅で26日夜に息を引き取ったと、同氏の家族が発表した。ラスキン氏は昨年12月、膵臓癌と診断されたことを友人に話していた。ラスキン氏がAppleに入社したのは1978年で、31番目の従業員として参加した。最初は誕生ほやほや会社であるAppleの出版部門にいた。その当時、コンピュータは主にテキストベースであり、ユーザーは多くの難解なコマンドを覚え、最も単純な作業をするのにも、テキストコマンドを使わなければならなかった。1979年、ラスキン氏には別の考えが浮かんだ。入手しやすい価格で、コンシューマーをターゲットにし、きわめて操作が簡単なコンピュータ。Appleの中で、ラスキン氏指揮下の小さなチームが作られ、彼のコンセプトの研究が始まった。それが後にMacintoshへとつながったのである。「Macintoshにおける彼の役割はプロジェクトの主導者ということだった。だから彼がいなかったらMacもここにはない」と初期Macチームのアンディー・ハーツフェルド氏は語った。
ラスキン氏はAppleに参加する前はコンピュータサイエンスの教授として働いており、XeroxのPalo Alto Research Center(PARC)で行われていたコンピュータインタフェースに関する研究についても深い知識があった。同氏はAppleの幹部にこのことを話し、注意を引きつけようとした。「ジェフはXerox PARCで見たものについて非常に力を入れていた」とラスキン氏のドキュメンタリーを制作しているデイブ・バースタイン氏は語る。ラスキン氏はMacintoshの名前を、彼のお気に入りのリンゴから取った。別の会社との登録商標問題を避けるためにスペルを少し変更している。同氏がプロジェクトを率いていたのは1981年夏まで。Appleの共同創設者であるスティーブ・ジョブズ氏との対立が原因でプロジェクトを去った。翌年にはAppleも退社している。「ジェフの最大の功績は、Macチームのごく初期において、必ずしも実績はないけれどもすばらしいものを作る力のある人たちを、うまくとりまとめたことにある」とハーツフェルド氏は27日、語った。Macは1984年にデビューし、パーソナルコンピュータ業界に大きな変革をもたらした。ユーザーはコマンドをたたく必要はなくなった。そのかわりにフォルダやファイルキャビネットのある、実際のデスクトップを模したインタフェースが用意された。ドキュメントはドラッグすることにより、別の場所に移動させることもできる。最終的に出来上がったMacは安価とは言いがたい2495ドルという価格で、最初の数カ月が過ぎると、売り上げは落ち込んだ。しかし、Macのインタフェースの背後にあるコンセプトはほかのソフトウェア、MicrosoftのWindowsなどですぐに使われるようになった。ラスキン氏はAppleを離れた後、別のコンピュータ会社、Information Applianceを設立し、自身のアイデアを組み込んだ別のコンピュータをデザインした。同氏は「ヒューメイン・インタフェース」という本を著し、2000年に出版した。
ラスキン氏はインタフェースにおける自分のアイデアを盛り込んだソフトウェアの開発に引き続き取り組んでいた。バースタイン氏によれば、最初のリリースは数カ月先に予定されているという。コンピュータ業界では最も知られている存在であるが、ラスキン氏の興味は別のところにもあった。ラスキン氏はSan Francisco Chamber Opera Societyの指揮者であり、3種類の楽器をこなしていた。同氏の美術作品はニューヨーク現代美術館(MOMA)に展示されている。また、航空機の翼構造に関する特許も取得している。友人らによれば、ラスキン氏は洋弓、ターゲット射撃の達人であり、時にはレーシングカードライバーにも変身していたという。「彼は楽しむということの価値を信じていた」とバースタイン氏。「Appleで彼と仕事をしていた人たちによれば、おもちゃ、ゲーム、喜ぶセンスがいかに重要かということを彼は話していたという」
今回、小生何が言いたいかと言いますと・・・
世の中、勉強ばかりはアカンと言うことです。子供の時「遊び」を経験することで、発想力や創造性に結びつく!それを経験した人間は、成功を収めた後も大人の男としてダンディに遊ぶことができる!
Macintoshを最初に考えついたのはジェフ・ラスキン氏だ!