サイトアイコン もとみちの戯れ言

独 恋を哲学する。

本日は同級生先輩の誕生日です。
てことで・・・
「おめでとうございます!」
「益々、魚釣りに勤しみましょう!」

小生はちと・・・風邪気味です。

大学の体育で動き回ったせいで、悪化しましたw

さて・・・


とある同級生後輩君から、恋を哲学的に解釈してくださいと言われました。
試されているのでしょうか?
それとも真剣に哲学的に解釈して欲しいと思っているのでしょうか?

リクエストですので、小生なりに考えてみようと思います。

まず結論・・・
「恋を哲学的にどうだこうだ言ってる奴はルサンチマンだぜ!」

一応・・・テクニカルターム?哲学用語?を入れてみました!
ルサンチマン・・・小生の言うルサンチマンは「セーレン・キェルケゴール」の言うルサンチマンではなく、「ニーチェ」が唱えている「ルサンチマン」であります。

ですが・・・
ちと考察してみるのも面白いので、東亜の事ばかり書かないで考えてみたいと思います^^

偉大なる賢人たちは、「恋」や「愛」に対して様々な持論を展開し、説明しようとしているわけですが、動物的感情に近い「恋」については難しかったようで、定義しきれていないようです。

ただし、「ソクラテスの弁明~プラトン~」であったか、「饗宴~プラトン~」そこで哲学とは恋であると書かれています。ただしローマ時代の「恋」は「エロス」と定義されておりますので、ここで述べる「恋」とは異なると思われますが、「知」への欲求と結び付けていますので、相手に「惚れる」という意味合いと解釈してもよいのではないでしょうか?

また、恋愛を哲学した場合、ニーチェ、カントを語らないといけないと思います。
しかしながら、あれだけの名言を残しているにもかかわらず、両人とも、恋愛では醜態を曝したことから考えて、彼らの名言は・・・自身への迷言ではないかと考えられずにはいられないため、割愛させて頂きたい。

と考えると・・・哲学者は誰も、明確な答えを出していないわけです。
あっ・・・小生の無知はおいといてくださいw

しかしながら・・・
詩人ダンテは「ベアトリーチェへの愛」を貫き、かの「新曲」を完成させたと言われています。

無理矢理結論へ持っていきますが、「愛」や「恋」とは原動力、即ち「命」を実感できる、唯一の「素」ではないでしょうか?

ですから、「素」など考えても仕方ないのです。

恋愛で・・・恐いのは・・・
うすうすは気付いていながらも、、気付かない不利をしてしまい「恋愛」に逃げてしまうパターンです。

これだけは気をつけましょう^^

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