サイトアイコン もとみちの戯れ言

独 冥福を祈ります。

今回もイラクで殺された日本人の事について書きたいと思います。
彼がまいた種とはいえ、後味の悪さ、やるせない気持ちが残るのはなぜでしょう?


前回人質となった日本人達と彼を比べてみると、彼らは人質となった際、死を覚悟した表情ではありませんでしたし、コメントも日本が悪いと取れる内容であり、また両親のコメントも徹底的に日本政府を非難するものでした。比べて彼の表情はすでに死を意識し、素直に自分の気持ちを述べており、ご両親も政府等を非難することなく、ただただ息子の無事を祈り、彼の死が決定的となった後も、生命の大切さ、イラクの復興を祈るものでした。しかしながら、その違いだけではない気がします。僕自身と彼がダブるからなのかもしれません。僕はとある国を旅していた時、ナイフや銃を突きつけられ、実際に発砲されるなど死と直面した事があり、さらに乗ろうとした長距離バスがテロで爆破される(僕は満席で乗る事ができなかった)など似たような経験をしたからかもしれません。しかし、それとも異なる気がします。
これを書きながら自分で整理しているのですが・・・今回も支離滅裂な文章になりそうです・・・すいません・・・
少し現実的な話を書きたいと思います。
彼が殺されてすぐに、イラク政府が彼を殺害したメンバーを含む武装集団を殺害と報道。そしてテロ組織の犯行声明では、日本政府から数百万ドルの身代金の提示があったと言っている。すべてが本当であるのなら、彼は利用されたのではないかと邪推してしまう。また前回の人質事件とは異なり、地震で奇跡の生還を遂げた男の子の報道ばかりがされ、さらに異常なほど美化され続けたのも得心がいかない。
まとまらないまま、結んでしまいます(すいません)。
彼の責任で彼が悪い。しかしながら、自己責任という言葉だけで彼を片づけないで欲しい。そして、死んだ者を愚弄する事は、卑劣であると小生は思う。彼が迷うことなく、安らかに眠る事を祈って頂きたい。

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