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独 町田にある小学校校長が模造刀振り回し「がまの油売り」

東京都町田市の小学校で昨年11月、50代の男性校長が、全校児童の前で日本刀の模造刀で大根を切る「演技」をしていたことが分かった。市教委の山田雄三教育長は「校内の刃物持ち込みに過敏になる中、慎重さを欠く行為」として校長に注意し、近く都教委に報告する。校長は事実関係を認めたうえで「そこまでやる必要があったかと強く反省している」と話している。市教委と校長によると、昨年11月8日、校長はグラウンドで行われた朝会に紺色の剣道着とせった姿で現れ、「がまの油売り」の口上を実演。さらに居合用日本刀の模造刀(刃渡り約80センチ)を数回振り、長さ約20センチの大根を切った。児童とは6〜7メートル離れていたという。 長崎県佐世保市の小6同級生殺害事件を受け、同校では児童に校内へのカッターナイフの持ち込みを禁じ、はさみなどの管理を徹底させていた。教職員や保護者から「模造刀とはいえ、刃物を使うのは好ましくない」などと批判の声が上がり、市教委が事実関係を調べていた。校長は「間近に控えていた劇や歌などを披露する学習発表会に向けて動作や声の出し方を教えたいと思った」と釈明している。(2005年4月1日)毎日新聞


記事の見出しもどうかと思うが、なんであかんの?貴重な体験だと思うぞ!
今の子供(親も知らん奴がおるやろーな・・・)なんかどーせ、
「バナナの叩き売り」

「ガマの油売り」
の事なんか知らんと思うぞ!
それを見る事ができるのだから貴重な体験だろ!
おいっ!
おまけに・・・模造刀なんか絶対に切れんぞ!
模造刀を「あかん」というんなら、カッターなんか絶対にアカン!
てか、シャープペンシルの方がよっぽど危ないぞ!
この校長に文句言った奴、切腹だな。

最近の学校、おかしいぞ!
教科書は漫画以下だし、運動会は順位がなかったり、どないなってんの?
良かれと思ってやっているんでしょおうが、低年齢の犯罪が増加するのはなぜかな?
青少年白書を参照のこと。

「バナナの叩き売り」とは。

バナナが日本に輸入されたのは明治36年頃で、当時、基隆(キールン)[台湾]の商人が神戸に持ち込んだのが始まりです。それが大量輸入されるようになったのは、明治41年以降で、終戦の4、5年前までです。その頃、台湾は日本の領土であったことと、門司港が産地台湾と最も地理的に近い関係もあって、大量荷揚げされ、市場が設けられたのでした。このバナナ入荷は、青いままのバナナで、3・40人の仲買人[室(むろ)を持つ問屋]により競(せ)リ売りが行われました。そして、引き取られた青いバナナは、地下室で蒸されて、黄色のバナナとなって、市場に売り出されたものでした。ところが、輸送中に蒸れた[俗に籠熟(かごうれ)バナナと言う]ものや、加工中に生じた一部不良品等で輸送困難なものは、出来るだけ早く換金する手段として、露天商等の手を経て、口上よろしく客を集め売りさばかれたのが「バナナの叩き売り」の始まりです。(門司区役所HPより)
HP関連
門司港レトロ倶楽部
バナナの叩き売り保存会
バナナの叩き売りの唄?

「ガマの油売り」とは。

徳川家康に仕えていた光誉上人〔こうよしょうにん〕という筑波山中禅寺の住職が、大阪冬の陣(1614年)、大阪夏の陣(1615年)で筑披のガマの油を救急薬として使い、その効果が評判を呼び、有名になったのが「ガマの油」の由来とされているが、ガマの油売りが筑波山の名物となったのは戦後の事である。「ガマの油」はガマの分泌液を油剤に混ぜた油薬である。それを売る露天商が評判となり、それが大道芸へと発展した。現在では薬事法の規制によってガマの油を売ることは禁止されているが、ガマの油売りの口上と仕草を芸として演じる伝統の大道芸として残っている。
HP関連
筑波山ガマ口上保存会
ガマの油売り動画

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